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2010年11月

善悪論補遺 善悪と身体性

このように(尊者は語ったと)聞いている。

カルマには、何ら実体がない。実体が無く、ひとの思いと行いを左右する者をカルマという。カルマは空であり、カルマに執着してはならない。

本人が悪であると思うことをすると、負債のカルマになる。
善であると考えてなしたことを、あとになって悪であると考えても同じである。
本人が善であると思うことをすると、財のカルマになる。
悪であると考えてなしたことを、あとになって善であると考えても同じである。

したがって、自己がかつてなした行いの全ては善であると考えるならば、いかなる負債のカルマも存在しない。財の(カルマにおいても)同様である。
しかしながら、ひとは生身である限りは、肉体のカルマによって束縛されている。肉体のカルマに束縛されている限りは、勝手に悪を善と思い変えることはできない。また、悪を善と思い変えることも同様である。
肉体のカルマが思いを束縛することは、重力が跳躍を束縛するが如くである。

すなわち、悪であると思うことをなしてはならないのは、腐った食物を避けることと同様である。生身である限りは、腐った食物は肉体を傷つけるからである。また、善であると思うことをなすべきであるのは、栄養のある食物を摂ることと同じである。
時には、毒を喰らい栄養のある食物を避けるべき時があったとしても、だからといって、腐った食物を避けるという知恵を軽く見るべきではない。
また、カルマとカルマへの執着とを断ち切る真実の知恵の実践という良薬があるからといって、あえて毒を服するような愚かな行いをしてはならない。
悪をなしてはならないという戒を軽蔑してはならないことは、まさにこのような理由によるのである。

『外道迷信集』

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無財の七施

慈眼施、和顔施、愛語施、捨身施、心慮施、床座施、房舎施

『雑宝蔵経』より

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